最近の練習ぶり
パイプオルガンの発表会を見に行く
August 16,2003
- 友人3Jがパイプオルガンの終了コンサートでキタラ大ホールのパイプオルガンを弾くと聞いて、演奏研究会仲間と見に行った。普段のコン
サートでも滅多に聴けない大ホールのパイプオルガンに興味津々。でもコンサート自体は出演者と先生自らお出迎えをしていたり、演奏者も4名で40分強の、
アットホームなものだった。曲名はもちろんバッハ等の私的にはなかなか読めない文字が一杯のプログラムだったり「音色変える時の音が床を踏み外したみたい
に大きいよねえ」とか不思議な面があったりして、でも皆さん練習大変だったんだろうなーと思われる熱演揃いだった。最後に舞台に出演者全員が登場した時に
友人3Jが感激している姿を見ていると、こういう普段滅多にない機会を努力と継続で自分でつかんで経験できている3Jがちょっとうらやましかった。自分は
最近そういう経験してないな…と思ったので。
ピアノのレッスンを1つ辞めました
July 25,2003
- これまでクラシックピアノのレッスンに2カ所通っていた事自体にちょっと無理があったのも事実だが、その内の1つを辞めることにした。ど
ちらも月2回のレッスンで、2つ通うことになったきっかけは、先に通っていたR教室の月謝が値上げされ設備費が加算され、レッスン回数が減ってしまったこ
と。「これじゃ高くて割に合わない」と思い、より会社に近くて月謝の安いY教室を友人に紹介してもらったのだ。ところが、レッスン内容はやはり今まで通っ
ていたR教室の方が良かったので辞めるに辞められず、それでも今まではやっている内容も違うしそれぞれためになって楽しかったので、何とかやって来たのだ
が、今回ついにY教室を辞めることにした。きっかけは、それまでお世話になってきた先生が突然別の教室に移動してしまって、代わりの先生になった事。この
先生、どうやら業界では結構名の通った方らしいのだが、見事に私には合わなかったのだ。原因その1は、レッスン内容の認識不一致。「バッハをバッハらしく
弾いてみたい」という私の要求に、その先生は「まず譜面がこれではだめ」どうやらバッハには出版社によって解釈が違うらしく、何も強弱が指定されていない
ヘンレ版とかの購入を勧められた。それでもとりあえず手持ちの譜面でやりましょう・・・と始めたところ、何とレッスン中は何度も繰り返し最初から弾かされ
ておしまい。最後に「むらさんはこうしたいって言う弾き方が決まっているようですから、まあこの位弾ければ良いでしょう」のコメント。いや、だから、それ
を直して欲しいんだってば・・・と言うと「でも譜面がヘンレ版…」を繰り返すばかり。原因その2は、時間的に通えなくなったこと。Y教室と契約した時の条
件は「1回30分月2回の範囲でレッスン日、時間は柔軟に変更できること」。毎回のレッスン日の度に次回のレッスン日を決める、急な残業等の時には次週1
時間レッスンすることで月2回レッスン相当にする、等の時間的配慮を前の先生は行ってくれた。それはどうやら教室的には表立って奨励していないことなのだ
けれど、私はそういう契約をしたので、前の先生はその辺りとても柔軟に対応してくれていた。その事を新しい先生に言うと「そういう契約なのね、分かった
わ、私はそうしてあげたいけど、教室の上のヒトに一応聞いておくわ」(…それはまずいんじゃないの…)と思っていたら次のレッスン時には「次回から毎月ど
の日に来るか半年先まで書いて持ってきて欲しいの」全然言っている事が逆になったのだ!私はもちろん先の予定は立てられないのでその旨伝え「とりあえず来
月はこの日にしておいて、ダメなら電話します」「じゃ来れなかったら次週1時間やってあげるわ」という約束を行い、次週やはり私は行けなかったので電話し
て次次週に1時間レッスンのつもりで行くと「後に生徒さんが入っちゃったの」って新規の生徒さんがやってきた!何で今日この時間に入れるの!むかつきつつ
次回の予約をしたものの、もうダメだと思い友人と相談して解約を決意。「先生を通さなくても大丈夫」とのことだったので受付で手続きを行った後、約束の日
には最後の挨拶をしようと思いかなり無理して仕事を終わらせレッスンに行くと、何と先生は「出かけた」…すっぽかされた!受付嬢が電話で外出中の先生を捕
まえてくれたのだが「今日がレッスンなんて聞いてない」そんな訳ないだろ!!私と直接電話で話す気も無いようだし、もはや先生へも教室へも信用0。結局最
後の月は月謝タダ払いで終わってしまった。ちなみにR教室はその後月謝改定によりY教室とほぼ同じ金額になり、レッスン内容も変わらずためになる内容なの
で、まだまだ辞めるつもりはありません。教室によって、こんなに待遇が違うのです、これから習おうと思っている方、もしちょっとでも合わないなと思った
ら、教室はたくさんありますから色々行ったり言ったりしてみましょう。
はじめてのドラム体験
April 19-20,2003
- 勢いで決めてしまった今回の東京行きは、いつものエレクトーンオフ会がらみなのだが、今回はエレクトーンの演奏ではなく「ドラム体験企
画!」に参加した。私は全くドラムの経験が無い。小学生の頃に小太鼓の叩き方を1回位習った(しかも”菜箸”で)のと、初めて演奏研究会に入った時に「リ
ズム講座」というのが一緒に付いてきて、その際「ドラムスティックを用意するように」と言われて親に初心者用を買ってきてもらった(当時高校生で、家が遠
かったので)ものの結局1度も使う事が無く、あとはリズムの打ち込みのためにドラム譜を読む練習だけはした、とかまあその程度だ。今回部屋の隅に放り込ん
であった真新しい(しかし入っているビニール袋だけは古くなった)スティックを鞄にさして、いざ飛行機に乗ったのだった(ちなみに、ハイジャック検査では
没収とかはされませんでした)。しかし余裕を持って東京に着いたはずなのに、しかもチェックインしたホテルから徒歩1分のはずなのに、チェックイン時のト
ラブルと道に迷ったせいで、またまた遅刻。おそるおそる指定された部屋をのぞいてみると、皆が一列に並んで丸イスを叩いている。・・・何かの宗教団体か?
と若干うろたえつつも何とか気を取り直し皆さんにご挨拶、1分後には私も宗教団体の仲間入りを果たした。この宗教行事は要するに4拍をメトロノームに合わ
せて叩く練習で、遅れてきた私はその前にスティックの持ち方を伝授してもらう。左手の持ち方には順手風(マッチドグリップ)と逆手風(レギュラーグリッ
プ)の2通りがあってどちらかを選ぶ。本当ならJAZZMANな私は逆手風持ちにすべきなのだが、この持ち方は薬指に当たって、慣れないとスティックがす
れてとても痛い。自分は本業は鍵盤弾きだし痛いのは嫌なので^^;速攻順手風に決定。その後リズム確認と8ビート基本形と進むのだが、何せ今回のメンバー
生徒5人皆エレクトーン経験者だしリズム感は元々持っているので、皆カッコ良く8ビートを決めていた。私はいまいちスティックを持つ両手のポジションをど
う取って良いのか分からなくて結構カッコ悪かったようだし、自分でもいまいち窮屈だなーと思いつつ、知ってるリズムが叩けるようになるのはおもしろいの
で、無理いってボサノバや4ビートのハイハットオープン奏法までさせてもらった。ちゃんと私たちの演奏にあわせてくれてエレクトーンを弾いてくれるヒトま
で居たので、全員それぞれのテーマ曲をバックにドラム演奏する所まで行ったのだった。講師さん担当の友人曰く、普通音楽経験の無いヒトが始めると1日で8
ビートまで行かないそうだ。エレクトーンってやっぱり教育楽器だなと思った瞬間だった。しかし格好だけはいかんともしがたいらしく、この後の打ち上げ中私
の叩き具合を見ていた別の友人がぼそっと「カッコ良く見える方法教えてあげるよ」というのに甘え、翌日はその友人のお宅のエレドラで補講を受けた。ポイン
トはやっぱり脱力。スティックはただおろせば良いってもんでは無いらしい。しかし、実は私はとても手首が堅いことに気づいた。あまり普段使わない部分だか
ら、普段のストレッチがやはり必要らしい・・・今までバンドやアンサンブルでお世話になったドラマーさんは皆、やはり凄いヒトたちだったんだな、と身にし
みて分かった。昔バンドをやっていた頃、カシオペアのコピーバンドなのになぜか16ビートはリズムがもつれ、8ビートになると生き生きとして叩くドラマー
さんが居て、皆で「丘ドラマー」と呼んでからかっていたのだが、今の私もまさに「丘、というか砂場の丘ドラマー」という感じだ。この2日間ドラムをちょっ
とかじってみて、せっかくだからもうちょっと練習してボサノバと4ビートはきっちり叩けるようになりたいな、と思ってしまった。それにもう1つ気になった
のは、友人宅にあった”エレドラ”というしろもの、家でもヘッドフォンでリアルな音でドラムが叩ける優れもの!なんである。たちまち私も欲しくなって、現
在物色中。それよりも早く鍵盤の練習しなさい私、って感じではあるが・・・
2どめの東京ブルーノート
Feburuary 22,2003
- イタリア旅行から帰国後の翌々日にインフルエンザにかかってしまい、行くか否か直前まで迷っていた東京行き。やっぱり行ってしまいまし
た、2度目の東京ブルーノート。お目当てはもちろん、今回もハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンだ。しかし自分の体力が持たないと思って空港からバスで
向かおうと思ったものの、行き先を「表参道」と「吉祥寺」を間違えて乗ってしまい、見事1stステージには遅刻してしまった。私が会場に着いた時には既に
30分以上経過していたのだが、予想通り満員御礼立ち見状態で会場はわき返っていた。御年83歳のトゥーツ・シールマンは前回見に来た時よりもさらに若返
りパワーアップしているように見えた。ベースもドラムも前回と同じメンバーで、ピアノだけ陽気なイタリアのヒトに変わっていたが、彼の演奏の方が私も好み
だった。会場には既に私の友人たち4人と昨年までお世話になっていた演奏研究会のセンセイがにこにこしながら聞き入っていて、皆が頼んで余っていたサラダ
等をほおばりながら私も演奏を楽しんでいた。今回は最初から2ステージ分予約していたので私も多少の遅刻は気にしていなかったのだが、後で聞くと私の好き
なイヴァン・リンスの「VELAS」を1stの最初でやったらしい。これが聴けなかったのは残念だった。さて2ndステージでは喫煙するセンセイが居たお
かげで、前回座らなかった喫煙席のメンバーが通りかかる道の近くの席をゲット。しかし本当はソファ付きのボックス席に座りたかったのだが・・・その2nd
ステージは前回同様、やはりバラード中心のゆったりとした曲が中心の構成、気のせいか曲数も少な目に終わったのだが、それでも間近で演奏の様子が見られた
のは収穫だった。さて帰ろうかと思っていたら「サインもらいに行こう、終了時メンバーが出てきた時お願い出来るらしい」みたいな事を前回一緒に見た友人が
言うので、偶然お揃いのなったトゥーツのCDを片手に移動。そこへメンバーがふらっと登場してきたので、ベーシストと陽気なピアニストと巨匠(マエスト
ロ)と呼ばれているギタリストに声をかけて握手してもらう。しかし悲しいかな、私も友人も英語が出来ないので、ピアニストにかろうじて
「Fantastic!」と言うことしか出来なかったのだが、それでも「おーありがと〜」と身振り手振りで応対してくれた。さすがイタリアン。さて主役の
トゥーツはというと、やはりお年のせいか、楽屋で横になっているから今日は出てこないかも、とお店のヒトに言われ、私たちも一時はあきらめて帰ろうかと
思った矢先、本人ご登場!そのまま順番で並んで、私たちは2番目に彼に握手&サインしてもらったのだった。ここでも私は「楽しいひとときをありがとう」と
英語で言いたかったのだが、あちらには通じなかったらしく残念だった。次回はもっと英語を勉強して、直接本人と会話してみたいなー!と思いつつ会場を後に
した。
ボンジョビライブin札幌ドーム
January 8,2003
- 中学時代の友人から「チケットあるんだけど行かない?」と誘われるままに、ボンジョビのライブを見に行った。実は私はボンジョビがどんな
曲を歌っているのかも知らず、ドームの中に入るのも初めてで、全然勝手が分からないまま会場に向かった。仕事が遅くなったせいで、ライブが始まってから会
場に入ったのだが、入ったとたんドームの大きさにびっくり!お客さんは全員総立ち、遙か遠くに米粒ジョビが居る(らしい)。しかし入り口はスタンド最上
階、私たちの席はアリーナ席だったので、延々と続く階段を下り、巨大なアリーナブロック席の中から何とか自分たちの席にたどり着き、コートを脱いでやっと
ライブ観戦。席からは米粒ではない生ジョビも見ることが出来た。その直後に丁度私も聴いたことがある曲が始まったので「ああこの曲の人かー」と納得しつ
つ、久々に肩より腕をあげて踊りながら終始過ごした。すごいなと思ったのは、最後まで声も枯れないボンジョビはもちろんなのだが、スタッフもプロの仕事と
いう感じだったことだ。ドームでの音響はあまり良くないと前評判を聴いていたが決してそんな事はなく、むしろキタラ大ホールで聴くよりずっと良いコンディ
ションだった。また、巨大スクリーンには様々な角度からボンジョビのメンバーを映し出しているのだが、カメラマンが何と天井照明に5−6人乗っていて、そ
こから撮っていたらしかった。また照明も、アンコールの時に観客の拍手を誘うようなお茶目な演出もあって、すっかり私たちは遊ばれてしまった。誘ってくれ
た友人曰く、ボンジョビはドーム等の大きな会場でやるのが好きで、機材等も全て持ち込みだと言う。こだわりなんだなーと感じた。そんな、新参者でも楽し
かったライブの後は「整列退場」とかで席順に退場順番が決められていて、またスタンド最上階まで階段を延々と上り、すっかり日頃の運動不足を解消する羽目
になったのだった。
バークリー音楽院に通っている知人の話
December 28,2002
- 一昨年まで演奏研究会の仲間、現在アメリカのバークリー音楽院に留学している友人が年末で日本に帰ってきているということで、彼女を囲ん
での忘年会に参加した。話題は当然、彼女の暮らしぶりについてが中心。とにかくアメリカは「良くも悪くもいい加減」だそうで、露骨な人種差別&若い女差別
で、故障した洗濯機もろくに修理してもらえなかったり、レストランで2時間注文を取りに来なかったり、相部屋の韓国人が超お嬢様で一緒に暮らして行けな
かったり、それを彼女自身で解決していく様子はすごいと思った。授業内容はやろうと思えば日本でやれることが中心で、でも大御所ミュージシャンのライブが
ちょくちょく生で聴けたり、ぱっと見普通のおばーちゃんに見えるセンセイが(当たり前なのだろうが)ちょっと弾くだけですごい模範演奏を披露したりで、彼
女は大変ながらもとても楽しそうだった。本当に好きでないとやっていけないだろうな、偉いなあと本当に尊敬してしまった。私自身は外国に行ってまで
JAZZの勉強をしようとかは思わないけれど、彼女のその暮らしぶりから何か参考にしたいなあと思い、とりあえず2003年は「こつこつ進めて、余計な事
を考えずストイックに行こう」を自分のテーマにしてみた。
来年の曲その1決定
December 27,2002
- ドビュッシーピアノ発表会を終えたレッスンでは、次回から練習するエクササイズと曲集の両方が決まっていなかった。直後のレッスンに仕事
で行けなかったため、この日仕事納め後の納会でビール飲んで千鳥足状態でセンターへ。「いい感じですねー」と受付のおねえさんとセンセイにたじろかれつ
つ、こちらから持参したフォーレのパバーヌやモーツァルトのソナタ等を見せる。とセンセイは「ブラームスの”2つのラプソディ”なんて良いかなーと思って
いたのよね、赤い本で2曲だけ入っているのがあるから見てみて〜」と言われ、その後すぐ別の楽器屋に行き、赤い本と参考CDをゲット。家で見て聞いてびっ
くり!めちゃめちゃ難しいし、私の苦手なオクターブのオンパレードだ。しかも1番も2番もどちらを選んでも手強そう。うーんセンセイもしかして、またド
ビュッシーの「ピアノのために」のように、1年近くかけて弾くことを前提に選んでるのかなあ・・・でも、私の弾いたことがない作曲家と曲を選んでもらい感
謝しているので、ちょっと新年から譜読みをがんばってみようと思ったのだった。ちなみにエクササイズは「昔にツェルニー40番終わっているのなら50番や
る?でも長いしね」ということで、センター独自の教材を使うことに。私もここの独自の教材が結構好きだし、別のレッスンでは30番に後戻りされてしかも弾
けない状況なので、ツェルニー浸けは勘弁願いたかったので、丁度良かった。ただ楽譜が取り寄せになるとのことで、これは新年あけのレッスンから。まずはブ
ラームスなのだ。
手作りなピアノ発表会
December 21,2002
- 今日はドビュッシーレッスンのピアノ発表会だ。ちなみに参加費\3000円+見学者タダ。演奏する曲はもちろんドビュッシーの「ピアノの
ために・プレリュード」である。この曲、私にとってはかなり「傷だらけな曲」で、ff〜pppまで強弱が幅広く、ピアノでは初のグリッサンドもあって、爪
ははがれるわグリッサンドで傷を作るわ、本気で通して弾けるのは1日に2−3度、という殺人的な曲でもある。前日、本番で弾くグランドピアノ型デジタルピ
アノで練習することが出来たのだが、弾いた後「何か鍵盤汚れてるなあ」とよく見たら、自分が流血した後だったりして、あわててこっそりと鍵盤を拭いたりし
ていた。さて当日、場所はいつも通っている教室の1室。手作りのかわいいプログラムを見ると、出番は嫌な予感がしていた通りトリ演奏。何も弾けない曲の時
に限ってトリもらわなくても・・・(と言っても弾けないのはいつも同じだが)オーディエンスには、いつでもどこでも楽しんでしまう”すみちょ”と、今回私
が弾く曲に青春をかけた経歴を持つ”ごとけ”。私の知らない間に、フロア内にあるカタログや楽譜を片っ端から漁って楽しんでいた様子。その頃の私は会場
で、最年少4歳の女の子から、最年長77歳のおばあちゃんのオルガン演奏まである第1部を楽しく聴いていた。休憩時間に友人たちと合流し、紅茶とケーキと
フィナンシェ(焼菓子)をほおばりながら、よく分からない場所での記念撮影を仲間内でしつつ、アトリエやテルミンの演奏を楽しんでいた。その後はビンゴ大
会で、私も珍しく当たって(たぶんきっと)受付のおねえさんの手作りキャンドルをゲット。このビンゴ用紙も先生方のお手製で、記載されているのは数字では
なく♪やret.等の音楽用語だ。そして再び演奏。第2部はほとんどがクラシックピアノコースで習っているヒトたちだったのもあるが、最初から何だかすご
い演奏が続き「このヒトたちをトリにすれば良かったじゃーん」と心の中でぼやきつつ聴いていた。そして自分の演奏は・・・朝の練習の方が上手かった
(T_T)少なくとも、今まで間違った事の無かった部分の音を数カ所弾き間違えてしまった。人前で弾く際の失敗には結構よくある事例だと思うが、私毎年何
度か人前で弾いているのに、何でこんな初歩的なことまたやるかな、とちょっと戒めモードだ。クラシックを弾いているだけによけいに気になって「失敗した
なー」と思わず舌を出したのを、見事に司会のおねえさんに指摘されてしまった。ここのコンサート、とてもアットホームで間違っても全然余裕な雰囲気もある
し、失敗したなーって顔をしても許されるような会なのに、何でいつも妙な緊張感があるのかなあ、と思っていたのだが、たぶん演奏後にインタビューが控えて
いるからだろうなと思われる。。。最後に友人たちに会った時には、ごとけには「ははははーん」と笑ってごまかし、すみちょには「むらさんが小指使って
る!って感動して見てたよ」と言われた。私には弾くとき、小指を上げる癖があるのだ。しかし今回の曲は和音やアルペジオやオクターブ以上押さえる場面がほ
とんどだったのと、すみちょは私がクラシックを弾く姿を見たことが無いので、服や弾き方の違いが新鮮だったらしい。良く見てるもんだなあと感心した^^;
その後、担当の先生に「トリであんなんで、すんまそん!」っとご挨拶して、打ち上げにロイホに向かったのだった。
超高級なピアノ発表会
December 8,2002
- 前回「体調不良な所熱血指導1時間半レッスンを受けた」ピアノレッスンの発表会がやってきた。この発表会の参加費は何と大台1万円!で、
以前エレクトーンで参加していた”高額な発表会”を越える金額にふさわしく、場所は市内のホテルのお店を借り切って、ステージは鏡ばりの壁に囲まれてグラ
ンドピアノで演奏し、コーヒーとクッキーが付いてくる、というもの。出演者は皆大人。直前のレッスンでプログラムを見せて頂いたのだが、曲名はクラシック
の名曲がほとんど。最初に誘われた時には「何やっても良いんで、シンセとか歌とかもあるんですよー」なんて言われていたのに、皆まっとうなピアノソロで
「先生違うじゃん」と思わずつっこみ入れた位のラインナップだった。・・・これって結構高尚な発表会だったりするのかな、私のように適当な練習で参加して
はまずかったかなあ・・・と思いつつ本番突入。しかも今回は久々に親も見に来たので、私的には今まで好き勝手にやってきたエレクトーンの演奏会とは雰囲気
が少々違う気分でいた。さて本番では本当に大人だけなのだが、おじさんおにーさんおばさんおねーさんが、初めて人前で演奏する〜毎年出ている常連さん、ま
で「オトナ」の範囲の中で最大限広い範囲の面々が、みなさんそれぞれに、日頃の練習ぶりを披露されていた。私的には「グランドピアノのペダルがいつも3本
なのに今日は2本で、ダンパーとソフトペダルの間隔が狭いなあ」と思いつつ、とりあえずフォーレの「シシリエンヌ」を演奏。いまいち繊細な表現がまだ苦手
で、小さい音2,3カ所が鳴らなかったりしたけれど、まあ、まあまあ程度の出来。友人が1人来ていたのだが、私のピアノは初めて聴いたので「何でも出来る
のねえ」とお世辞を言ってもらった。親はと言うと、自分は右手で”どれみふぁそらしど”がやっとなくせに耳だけは肥えており、私が子供の頃に習っていた先
生が礼儀作法もきちっと教えてくれた方で、そのレッスンを見て知っているため、批評も素人なりに的を得ていて手厳しい。「弾く前は手を膝において一呼吸し
てから弾くものよ、個人の先生じゃないとそういう事教えないのかしら」「つっかえたからって止まったり戻ったりするなんて観客に失礼、自分だけの時間じゃ
ないんだから」「ただ弾けば良いってものじゃないの、どう弾きたいかが伝わらないと、ただ曲が長いだけでつまらない」「衣装が普段着でがっかり、流石にお
ばさんは分かっているみたいだけど」etc...でも「そんな事を思いながら久々に聴けて楽しかったよ」と喜んでいたので良いことにしておこう。そんな批
評を聞きながら「私は出だし一呼吸置いたし、止まりはしなかったし、衣装も一応考えたし、曲も短くてよかったー」とほっとしつつ、「・・・でも、次回の発
表会の曲は長い上にまだ弾き切れて無いんだよなあ・・・」と霧のようなプレッシャーを感じつつ、親子で晩ご飯を食べに行ったのだった。
癒しのピアノコンサート
Nobember 28,2002
- 昨年から習いに行っているドビュッシーピアノレッスン(下記の「レッスンを受けるのが難しい」レッスンでは無い方のレッスン^^;)のセ
ンターで、掲題のコンサートの企画があり、何でもケーキが食べられると言うし、私の先生も演奏されるとの事だったので、仕事をぶっちぎって見に行った。本
当は誰か誘いたかったんだけど、私の友人ではいまいちターゲットになるヒトがいない(全く興味無いか、ばりばりプロか、なので趣味的にピアノ好きという程
度のヒトがいない)ので、今回は1人で行った。会場となった部屋は明かりが落とされ手作りキャンドルがともされたムーディーな雰囲気、演奏曲はちまたでお
なじみの「月の光」「ドビュッシーの夢」「ショパンのワルツ」等々癒し系曲がセンターの先生方の演奏で流れる中、ジャスミンティーとケーキとクッキーを食
べながら聴けるという、なかなか無いシチュエーションだった。観客の人数もこじんまりと10数名程。私はと言えば、トップバッターがうちの先生だったんで
「仕事ぶっちぎって良かったー」と思いつつ思いっきり1人でジャスミンティーをおかわりして先生に笑われながら、ぼけーっと聴いていた。でもさすがにうち
の先生の演奏だけは「ああいうピアニシモの優しいタッチで弾けないんだよねー。。。」と思ってしまいながら聴いていたが。コンサート終了後、演奏した先生
方にあいさつに言ったら「はははははー・・・次はむらさんの番(来月発表会)だよー」と言われてしまった。先生方にしてみたら、音外しまくりの演奏だった
とか色々あったみたいだが、私的には1人8曲も演奏してるだけですごいと思っていたし、何せ「今日は癒し」と思って細かいところ気にしていなかったので、
「次はあなたが緊張する番よー」なんて雰囲気出さなくても十分緊張するから^^;と思いつつ、会場を後にしたのだった。
選曲に悩む
Nobember 23,2002
- 12月には予定では3つの発表会に参加する予定で、2つは完全にクラシックピアノなのだが、もう1つはピアノでもエレクトーンでも参加可
能(ただしポピュラー系)なので、何を弾くか前々から考えていた。ただ未だに決まらない。なぜかと言うと「発表会だから、小品よりそれなりに見栄え(聴き
映え?)する曲の方が良いだろう」「しかしあと2曲あるから、あまり練習に負担のかかる曲は嫌」「コンクールの曲とかは止めておきたい」という条件の中探
すと、私の場合どうしても、ピアノよりエレクトーンで用意する方が遙かに時間短くも質も良い(かどうかは?)ものが出来るのだ。ただせっかくだからポピュ
ラーピアノでステージに立ってみたい気もするし、というか今まで色々あってエレクトーンで出たくない気もしていたし、かといって色々探すも、ピアノで新曲
を練習するとなると自分の腕が付いていかないような気がして、選曲に悩むのだ。ピアノは指先の感覚1つで音が変わってしまうのだが、それをコントロールす
る腕がまだ自分にないので、本番に自分の出したい音を出せる自信がないせいだ。さて、どうしようか??
レッスンを受けるのも難しい
Nobember 22,2002
- 体調が悪くて会社を休むも、ピアノのレッスンだけは休めない(前回、前々回は私の仕事の都合で、その前は先生の都合で中止)ため、ぼーっ
としながら教室へ。来月発表会を控えているので、うかつにすっぽかす訳にもいかないのだ。しかも今日に限って1時間レッスン。あまり気分が乗らないまま
「シシリエンヌ」を弾く。まだまだ練習不足で、暗譜も途中半端だし速度も慣れていない。途中でもう嫌だなあ止めたいなあと思っている私とはうらはらに、先
生はすごく心配顔だ。今日の先生はまだ私が「せっぱつまって初めてやる気になるタイプ」な所を実際に見ていないので、(これがあたり前なのだが)「本当に
大丈夫、よね?」「ちょっともう1回、ここだけ弾いていって」「間に合わなかったら前日家に来れる?」「・・・・」と次々と追い打ちをかけられてしまっ
た。しかも悪いことに、私がエレクトーンをそれなりに弾くことを知ってしまったらしい。口止めしておいたはずなのに、紹介してくれた友人が言ってしまった
らしいのだ。まあ同じヤマハの教室なのでばれるのは時間の問題だとしても、私としてはここのレッスンは修行というより癒しに来たかった(既に習っている、
もう1つのピアノのレッスンの方が程度が高い曲をやっている)ので、「エレクトーンが弾けるならピアノだったここまでやってくれるだろう」と思われたくな
かったのだ。しかし予想通り先生は「やれば出来ると思うから色々言っちゃうのよ」とおっしゃる、いやそれは本当にごもっともで当然の成り行きなのだが、私
的にはこの日の体調もあわせて「もう勘弁してー」と心の中で叫びながら、先生の熱血指導のせいでさらに延びた1時間半のレッスンを耐えたのだった。
大阪でオフ会
Nobember 3,2002
- ひょんなことがきっかけで、大阪24時間の旅に出ることになった。お目当てはエレクトーンのオフ会。それも、いつも参加している「コタ」
ではなく全く初めての場所に参加することになった。何だか、OOSAKA
FINALというエレクトーンフェスティバルの上位入賞者が出る大会に出場したヒトが3人もいるらしい。それってまた結構すんばらしいコンサートになって
しまうのか?でもまあお遊びだから、とあまり深く考えず会場へ向かった。しかし日頃の方向音痴ぶりを見事に発揮してしまい、会場へ着いたのが開演から30
分はゆうに過ぎていたので、最初の演奏は聴けずじまい。もったいなかったなーと思う前にびっくりしたのは、楽器店のホールを借り切っているのは知っていた
けれど、まさか会場の照明を落としてVTRまで撮られていることだった。結構本格的だったのねーそれならもうちょっと良い服着てもうちょっと痩せておくん
だった・・・と思う間も無く自分の番。今日演奏したのは9月のコンクールで弾いた「The Acrobat」「Sophisticated
Lady」を、とりあえず暴れさせて頂いた後は、みなさんの演奏を堪能させて頂いた。何というか、これまでのオフ会よりクラシック曲やコンクール的な曲が
連続でだだだだーんと演奏され、やはり大阪はレベルが高いなあと再認識しつつ楽しませて頂いた。また、演奏にしてもアレンジにしても、みなさんかなりこだ
わりを持っているようで、その熱の入りようはすごいものがあった。打って変わって2次会では、おしゃれな居酒屋での食べ物もおいしく、また関西のヒトは話
がおもしろい!この日はともすれば札幌より寒い?と言う位の強風の中、楽しい時間は過ぎて行った。
もう演件は卒業
October 11,2002
- 先日受けてきた次期演件のオーディション結果が来て、予告通り不合格だった。しかし、月曜日に参加可能な講師さんたちは皆入った様子。後
から聞いた話だが、オーディション当日仕事で参加できなかったヒトも合格していたようだ。これで、完璧にエレクトーンの世界に魅力が無くなり、もう私は2
度と演件には戻らないなと確信した。そして来年からエレクトーンで人前に出るのも控えようと思ったのだった。
エレクトーンの進む方向って何?
September 29,2002
- 次期演奏研究会のオーディションと、別クラスの演件終了コンサートを見に、またまたセンターへ。即興は何の曲だった?とかは既に友人から
メールで連絡済み。しかしセンターまで乗ってきたタクシーに遠回りされてしまい怒りながら会場入り。即興曲は3曲ともオーソドックスな曲だったが、いまい
ち私にはぱっとしない曲。唯一好きな(しかしアドリブが得意な訳ではない)「枯葉」と、自由曲は昨日演奏した「Terra de
Amor」を適当なリズムで(ドラムと一緒なのが前提だったので、リズムを組んでいない)演奏。その後の面接で閉口一番「日曜日は枠が無いんだよね
え・・・」またそれか。以前「実力はあるけど人数が多くて枠が無いから」という理由で不合格になった事がある。それなら最初からオーディション応募&受験
させるな!と思うのが普通だと思う。それをまた今回も言われたのだ。その後「コンクールの時も今もそうだけど”エレクトーンだからこの程度でいいや”とか
思ってない?」と言われた。それは実際そうだから良いのだが、だからと言って「もっと普通に弾けばいいのに」はどうだろう、エレクトーンだからこそ出来る
創作アレンジもあるのに、コンクールでCDコピーそのまま弾いて認めるのもどうか?という気もしていた。やっぱり、財団の求めるものと私の考えは違うらし
い、ということを実感した。きっと今回で演件は終わりだな、というか「月曜日なら良い」という時点で、私のような一般でエレクトーンをこれ以上楽しむ(と
いうか修行する)のは認められないということだ。センターでのレッスンを止めた時点で、あまりにも対応が違うのにも嫌気がさしていた(と言って、在籍生の
頃にも特別扱いしもらったという記憶も無いのだが)。
その後、別クラスの演件終了コンサートを見に行った。生徒さんの演奏は皆がんばっていて良かった。ただ何となく、コンクールに出たヒトはそれなりにレジス
トも整ったものになっていたが、そうではないと思われるヒトのレジストが「ちょっと見てあげれば、もっと良い音になるのに・・・」と思い気になった。やは
り、コンクール対策クラスなのだろうか?・・・しかしその後の講師演奏、というか特別ライブという感じでOZONEというユニットの、講師含めた3人組の
演奏が始まった時にはがっかりしてしまった。いやこれ自体は単独でやってくれる分には別に良いのだが、仮にも講師演奏を兼ねているこの場所で、どう考えて
もコンクールに出るような生徒さんの見本とはなり得ないような、パフォーマンス優先のお楽しみ企画。飛んだりはねたり歌ったりが、コンクールで出来るか?
ついさっき、演件オーディションで「若者優先で、やる気のあるヒトを取っていきたい方針」で集めた生徒に、こんなパフォーマンス演奏で答えるつもりか??
既に私は怒り沸騰で、1曲目で帰りたかったのを我慢していたので、無理矢理アンコール催促が起こった時点で先に会場を出てしまった。もう本当に、この世界
が嫌になった。
演奏研究会コンサート
September 28,2002
- さて演件コンサート本番がやってきた。当日は私はリハ無しなので、オリエンテーション時間に開場入り。しかし微妙に遅刻してしまい、丁度
そのときに「順番の2人前にはステージ裏に来るように、捜索願い出されないように」という説明があったらしく、以前まさにその「捜索願い」で皆に私を捜さ
せてしまった前歴のある私が入ってきたもので、「あーまさにその当人だ」という視線にさらされてしまったのだった。今回は自分も最後まで「さあ本番!」と
いう気になれないまま、しかし前日のリハがリハだったもので若干不安を抱えつつ、ステージは進んで行った。1部は客席から全部見ていたのだが、希少な若者
たち(小中学生)は良くがんばっていた。この日、わざわざ大阪の演奏研究会の方も見えていたようで、後日HPにも「若者が上手い」と記事が載っていた。さ
て2部になって、私は2番目なので否応なく休憩前に楽屋に入ったのだが、私の前に弾くメンバーが衣装も気分も思いっきりはじけてしまっていて、裏から見て
いてもかなり楽しませて頂いた。次にノーマルに弾く私としてはちょっとやりずらかったけど^^;そして本番、舞台裏があまりに狭い中、弾かないのに常駐し
ているヒトが2人もいるのですぐにステージに出られず、司会(センセイ)に「余裕の登場ですねぇ」と言われてしまった。演奏はやっぱりドラムが気になって
乗りきれなかったので、自分的には6月より満足の行く出来でなかった(ビデオも見たくないし)が、とりあえずリハのように止まる事はなく終了。その後の演
奏を楽しんで、怒濤の打ち上げに向かったのだった。
演奏研究会コンサート・リハーサル
September 27,2002
- 早いもので演件コンサートがもう明日になってしまった。しかし私は相変わらず「さあ本番!」という気になれない。今回弾く曲は6月の大阪
コタオフで弾いた「Terra de
Amor」なので、、1度ぼろぼろ&譜面見ながらだけれど人前で弾いた事があること、ドラムの方とも本番当日に1回合わせただけでも、それで何とか乗りき
れたという実績があるものだから、すっかりコンクールの方を優先して練習してしまい、この曲の練習はオフ会から3−4回しか弾いていないという悲惨さ。そ
れでも、今回は友人が気を利かせて本番で使用する機種ELXで練習できる場を作ってくれたおかげで、何となく2オクターブベースの感触も思い出したし、と
言うこともあって、のんきにリハ会場入り。ここで初めてドラムの方と合わせて弾いてみる。・・・が、見事に合わないのだった。それもしょうがないことで、
今回の曲は構成がとても複雑で「1コーラス、2コーラス」という区切りが無いこと、リズムも単純な4beatとかではなくラテンが入っているリズムなこ
と、ドラムのセンセイは今回のコンサート20数曲を全て1人で、全曲ほぼ初見でたたく事、しかも私の演奏はぼろぼろな事、など重なり、6月の時の様にはな
かなか合わなかった。あーこれなら大阪でドラムたたいてくれた方をお呼びして、専属でやってほしいよーという気にまでなってしまい、ドラマーのセンセイと
2人で「やば、やばいよね」と言いつつ、リハが終わってしまったのだった。
エレクトーンコンクールに参加する
September 1,2002
- 今年はポピュラー系がコンクール対象らしい、即興が出るっていうけど、どんな感じになるんだろう?1曲弾くのも2曲弾くのも参加費は一緒
だし・・・と、深く考えずコンクールに参加することに。あいかわらず、申し込み時には曲名だけ書いて譜面も無いまま。しかも、今回はジャズオルガンの原曲
をブラス等加えて全く新しいアレンジにしてしまおう!という試みを犯してしまった。いつもの私のペースで耳コピを始めたのは1ヶ月前、しかし今回はそれな
りに練習したし考えたし、アレンジができあがったのが本番3日前だったが、それでも出来る範囲での練習をしてみた。今回の曲「The
Acrobat」は実は前回友人が演件コンサートで弾いた曲だったのだが、テーマだけでもかっこいい!と思い頭から離れなくなってしまったので選んでし
まった。ただ、そのまま弾くと地味な上盛り上がりに欠けるし、友人の様に上手くオルガンは弾けないし、せっかくコンクールに出るならコピーだけじゃつまら
ない、創作する部分が無いと・・という訳で、無理矢理なアレンジをしてみた。1ヶ月前に送られてきた課題曲は「Sophisticated
Lady」、これを見た瞬間「・・・JAZZ知ってるヒトならともかく、フュージョン系その他のヒトにはきついだろうなあ・・・」と思ってしまった。とり
あえずこちらはオーソドックスなバラードが一番ハマると考え、時間配分だけ考えてあとは感覚できめただけ。一応リズムも音色も決めておいたが、練習配分は
明らかにAcrobatの方に重点を置いていた。
さて本番は大忙し。リハで会場入り→練習のため移動→ピアノ習っている会場で割り引きを利用して1時間レンタルで練習→再び会場へ移動してオリエンテー
ション→今度はセンターへ移動→レンタルで2時間練習→本番直前に会場へ戻る、という強硬手段で出番間際まで練習していた。しかし腰痛と緊張で他のヒトの
演奏を指定席で聴く気になれず、廊下で待機。途中、同じくコンクール部門で出番を終えた人たちが何人か声をかけてくれて嬉しかった。あたりまえだがみんな
若者で、修行の身なのだが、みんな一生懸命修行していて偉いなあと思って話していた(いや私にもそれなりに修行していた頃があったのです、今は信じてもら
えないでしょうけど・・・)。私の出番が最後の最後だったので、途中で予備の楽器等が次々と撤収されていくのを見ているのはちょっと悲しかったが、後に誰
もいない楽屋というのも気楽で良いものだった。肝心の本番、Acrobatは必死で弾かないと弾けなかったのが良かったようで、緊張する暇もなく弾き終え
た。課題曲は打って変わってスローなので最後に手がふるえだしたが、まあそれなりに終わらせた。私の演奏後すぐ休憩に入ったのだが、楽屋を出るとすぐ見に
来ていた友人たちが入り口で待っていてくれた。今年は多少練習していたのが通じたらしく、「よかったよー」と言ってもらえて正直ほっとした。なぜか課題曲
の方が評判が良く「1週間くらいしか練習してないんだけどな」と言ったら友人に「やっぱり実際にライブとか見て、雰囲気知ってるからだよ」と言われた。ま
あ今までのライブへの投資が多少は、報われたらしい。だったら奨励賞が欲しいなあ(グランプリは将来ある若者に行くだろうから)、と思っていたが、結果は
無冠でちょっと残念だった。ただ奨励賞になったヒトは2人とも、私に話しかけてくれた一生懸命修行している面々だったのでちょっと嬉しかった。その後は応
援してくれた友人たちとともに、例によって打ち上げであーだこーだと議論していたのだった。
史上最悪の野外ライブ
July 28,2002
- 毎年恒例の夏のJAZZライブ、ということで札幌芸術の森のJAZZ
FORESTに今年も行くことになった。登場バンドは熱帯JAZZ楽団、Four of a
Kind,小沼ようすけ、Akiko。今年は日中のアマチュアバンドを見に行かず、夕刻会場に向かったらすごい混んでいて、駐車場も満杯で警備員さん誘導
の元に路駐。山の上から降りるのに道案内が無いので道が分からない!虫に刺されるよーと言いつつ草むらを通って山を下る。晴れてて良かった・・・。会場で
は知り合い探しに色々回りつつ、私たちは3列目のイス席を確保していたので、のんびり鑑賞。実は熱帯JAZZ楽団以外の3アーチスト、私的にはいまいち
で、良いけどJAZZって感じでもないしフュージョンとしてもいまいち好みじゃない、ということで最後に登場する熱帯JAZZ楽団を心待ちにしていた。ス
タッフの方が着ていたTシャツには表に「猫帯」背中に「GAG楽団」と書いてあるジョークなもの。しかも直前に演奏していたFour of a
Kindの方のMCで「・・・で、次の熱帯JAZZ学園、、あ。」というおいしい間違いもあって、盛り上がる事間違いない!という感じだった。総合司会の
方も「またきっと盛り上がるんでしょうねー」などど言っていた。そしてお待ちかねの熱帯JAZZ楽団、1曲目から迫力あるブラスで、やっぱりいい!と思っ
た瞬間、芝布席から観客が雪崩れ込んでしまったのだ・・・これ、毎年の事で、せっかく高いお金出してイス席買っても芝生席から雪崩れ込んだヒトが最前列で
大騒ぎするので、全然ステージが見えなくなるのだ。特に一緒に行った友人たちはそのことにものすごい嫌悪感を持っていて、今回も烈火のごとく怒りだしてし
まい、1人は途中で帰宅してしまい、もう1人は憮然としたまませっかくの演奏も聴こうとしない。私的には、「せっかく好きなアーチスト聴きに来てるのに楽
しまないと損だし、そんなに憮然としてるの見られたらアーチストに失礼」「ノリノリなのは良く分かるけど迷惑、自席で騒いで欲しいし、3列目にいてステー
ジ全然見えないって異常でしょ、しかもぶつかってこないでよ!」と、どちらの行動にもうんざりしていたので、わざとふりを大きくして踊りまくり、目障りな
雪崩れ込み連中を殴りながらのりまくったのだった。ライブが終わって、友人の1人が実行委員会に電話して芝生席との差額を返金してもらったとの話を聞き、
だめもとで私も実行委員会にメールしてみた。そうしたら運良く代表の方に取り上げて貰い、返金の旨を確認すると、私にも適用します、という話だったので、
当日イス席にいた友人併せて5人分の請求をして、返金してもらった。お金で解決するつもりは無かったが、とりあえず怒り狂っていた友人には早くすっぱり忘
れて欲しかったので。実行委員会の対応は素早かったし、まあメールでは最後まで私の名前は間違われていたし、返金の封筒には現金のみという素っ気なさだっ
たが、前例のない差額返金をやってくれただけでもよしとするべきか。どっちにしても、私は来年からJAZZ
FORESTには行かないだろうな、とちょっと残念な1件だった。
今年の立川オフは合宿だあ!
July 7,2002
- 毎年東京・立川で行われるお酒まみれのエレクトーンオフ会、今年は秋川という所でお泊まり付きだと言う。最後まで予定が分からなかったの
だが、AirDO超割を運良くGetしたので、勢いで参加してしまった。会場へはバスとJRとまたバスを乗り継ぎ、家を朝6時過ぎに出たものの着いたのは
昼の2時半。結構な長旅だが、着いたとたんにビールのんで酔っぱらって古いエレクトーン(C型だった)弾いたり他のヒトの演奏にあわせて踊ったり、久々な
方々とおしゃべりしたり、大正琴の音を初めて見て聞いたり、と大変楽しかった。日帰りのヒトの見送り時には、何と手を挙げただけで路線バスが停車してくれ
るというすごい技も。宿泊組は夕食後、ホタルを見に行き(生まれて初めてみました、雪虫みたいだった)、花火をやって、夜中まで色々皆でくっちゃべり、朝
は健康的に7時に起床、全員朝食の席に顔を出すという優秀さ。その後鍾乳洞観光をして命がけで帰還し、再びミニ演奏会をやって、昼食をなぜか「とんでん」
で食べて解散となった。幹事さん始め皆様にはお世話になりました。でも、今まで何度か東京に行ったことがあるが、山手線沿いに一切寄らずに行って帰って来
たのは初めてだった・・・・。
VIVA!大阪【2日目】エレクトーンのオフ会に参加する
June 8,2002
- 同じく3年前、大阪在住の幹事さんから「札幌観光中にジャズの生演奏をやっているお店に行きたいのだが・・・」というメールを頂いたのを
きっかけに、逆に私が幹事さん主催のこのオフ会に参加する事に。その時演奏した曲の参考にと、演研コンサートのVTRを送ったところ「生で見たい!」と今
度は幹事さんが札幌入り。演研コンサートの名前から、今回のオフ会の名前が決まったという「GROOVY NIGHT IN AIRMOLEK
KOTA」6月開催の部には私は初参加だ。今回2曲、いづれも相方が居るということでリハーサルのため最初3時きっかりに会場入り。しかしまだ準備中でエ
レクトーンも無く誰も居ない・・早すぎたのかな、といったん引き返して近くの甘味処で時間をつぶし、4時に再度会場に着いたら、今度はリハ中のエレクトー
ンの音が1Fにも聞こえる。よしよし、と7Fまで上がったら、なぜかやっぱりまだ準備中で、コックさんが机であおむけに寝そべっている。しかし、やっぱり
エレクトーンの音は聞こえる・・・もしかして?と1階上に行ってみたら、何と既に10数名が集まっているではありませんか。単純に場所を間違えたらし
い。。。とりあえず今回は2曲とも10数年ぶりの人前譜面参照状態(譜面を見る方があがるタイプ)、札幌から持参したスコア版サイズのクリアファイルか
ら、会場途中のディスカウトショップで仕入れた3段譜サイズのクリアファイルに譜面を入れ替えているとリハの順番が回ってきた。ドラムとのDuoの曲は、
9月の演研コンサートでもドラムと合わせて弾こうと思っている曲で、今有る程度やっておけば、ピアノの発表会他の仕込みが重なる7−10月が楽になるだろ
う、という読みでの試み。しかし今回2曲ともそうなのだが、CDを聞いたイメージよりも実際音を取るのが難しく作業は予定より難航+いつもに増してままな
らない会社員的時間の制約+元々実力も無いし、という訳で演奏の方がゴメンナサイ状態。しかもその後でピアノ担当するDuoは、最後まで弾ききることもま
まならない。自分が変拍子取れないのが最大の原因なのだが、もう弾くのは間に合わないから相方のベースを契機にして弾こう、と思っていたら相方も時間的制
約でほぼ初見状態だったらしい。自分が作った譜面だからはっきり言うが、あれを初見で弾くのはエキスパートでも無理(手書き譜面だし)。出来の善し悪しは
最初から気にして無いけど、最後まで弾ききれないのは流石にまずいでしょ、とりあえず自分が変拍子最後まで取りきらないと駄目だ、と思ったらすごいプレッ
シャーになってしまい、せっかくのディナーも前菜を頂くのがやっとだった。お百姓さんゴメンナサイ。ただ他の方の演奏を聴くのは当初から楽しみにしていた
ので、しっかり堪能させて頂いた。このオフ会、年々レベルが上がってしまい、私のような毎回実験的な試みをしている輩が居てはいけないかも、という雰囲気
になってきているが、自分が普段弾かないオーケストラチックな曲をしっかり練習して披露しているのを見ると「えらいなあー、あるべき姿だよな」と感服する
のだった。それに比べて今回の私は仕込みには結構時間と労力を費やしているのに、報われてないよな・・と一瞬ブルーな時もあったのだが、パット・メセニー
のナンバーを聞きながらふと目をやると、窓の外はもうすぐ日が暮れそうな時間帯の青空の下に大阪の街並みと高層ビルの風景が広がっていて『なんだかんだ
いっても新曲2曲を3週間で譜面に仕上げて時間のやりくりとか手続きとか済ませてやれることはやって、初めて6月の大阪に来てこんな素敵な会場に居ること
が楽しい、それで良いじゃないの』という気分になり、本番は緊張や焦りは無くなっていた。ピアノ担当Duoは結局変拍子を取りきれなかったものの、リハよ
りは何とかリズムに付いていって(つもり?)一応最後まで弾き終えたのだった。聴いていた方、お粗末でゴメンナサイ。相方様、負担をかけてしまってゴメン
ナサイ。ここからは窓の外も夜が更けて、ネオンと時折通り過ぎる飛行機で気分最高。最後のドラムとのDuoでは、某掲示板で私が不審人物に見られていたよ
うなので、急遽自己MCに代えてもらいご挨拶。こちらはドラマーさんの熱いサポートのおかげで、つたないながらも弾ききることが出来た。本当はもっとトリ
に相応しい演奏がたくさんあったのに、こんな程度ですみません。ただ言い訳すると、今回2曲ともこの順番だったから覚悟を決めてここまでやれたという感
も。もしかしたら譜面を上げることさえままならなかったかもしれなかった。幹事さん初めあの会場に居た方全てにお礼申し上げます。私的には現在一番気に
入っているオフ会なので、懲りずに今後ともよろしくおねがいしますm(__)m
VIVA!大阪【1日目】ハモンドB-3でレッスンを受ける
June 7,2002
- あれは思えば3年前の12月。初めて行った大阪で、初めて生で見たハモンドオルガンライブのオルガン奏者の方にレッスンを受ける日が来る
とは、当時考えも付かなかった事だが、ネットの力は凄いモノだ。ついに実現してしまったのだ。今回のオフ会の日程に合わせて浜田恵子さんにレッスンを付け
てもらえることになり、センセイのご自宅まで黒塗りタクシーをすっ飛ばす。お互い1度しか顔を合わせていないのだが、私から見れば「センセイ変わってなー
い!」センセイから見れば「あー思い出した、前より一回り大きくなった?」・・・確かに成長してました・・・5月に終わったばかりのセンセイのライブの様
子などおしゃべりするも「時間もったいないから、始めましょうか!」「は、はいぃ」と早速ハモンドB-3の座り方から伝授される。ハモンドB-3という楽
器は、鍵盤数は76鍵はあったのではないだろうか、構えた位置的にはエレクトーンで言うFX-20に似た大きさで、左側鍵盤1オクターブはレジストチェン
ジスイッチになっている。「下鍵盤Bはここの音源で、Bbは隣の音源で・・・」しかし私が手ベースで弾くと、ついついこの黒鍵盤まで弾いてしまって音色
チェンジしてしまうのだった。鍵盤のタッチがエレクトーンと電子ピアノの間くらいで、エレクトーンでの脱力奏法をいつも以上に意識して弾かないと綺麗なク
リック音が鳴らなかった。そんな状態で、実際のオルガン奏法の基礎の基礎から伝授して頂く。「音を飲む!」「オクターブはしっかり押さえる!」「アドリブ
はブルーノート等でジャズらしく!」等々、総称すれば今までの演研レッスンで何年も聞いていた事と同じ話だと思うのだが、「音を飲む!」ためのExp.ペ
ダルの使い方が私はベース主体に付ける習慣が付いていたので、フレーズ主体に付けることが出来ない。手ベースしながら弾くと必ずExp.ペダルはベースに
合わせてあおるのでフレーズ側の音が飲めないのだ。これは頭では十分判っているので、手が動かないのが一番つらかった。「オクターブ」はオルガン奏法の1
つ、ノイズを出しながらオクターブを弾く奏法を重点的に習いたかったのだが、肝心のオクターブを押さえるのが、実は私は不得意なのだ。決して手が小さい訳
ではないので誰にも信じてもらえないのだが、手がほとんど広がらないので普通にオクターブを押さえるのがやっとなのだ。2−3−4の指を内側にぐっと入れ
ると、1−5の指はその分縮まってしまうので、オクターブ範囲に届かなくなる。これは手が慣れるまでしょうがないんだよなあ、と思いつつ。「アドリブ
は・・・」もうかなりしばらく、アドリブの練習をしていないので、スケールもすっかり忘れてしまい、全然弾けません。これはもう力が無いのでしょうがな
い。しかも時々センセイの模範演奏が入るのだが、最初に「あ、こういうイメージでやればいいのね!」と思った後で、センセイはどんどん色々なパターンの模
範演奏を披露してくださる。この時はこういうパターンで、ここはこう、そこはああ・・・と全てを頭に焼き付けようと聞いていたら、最初に聞いたイメージを
すっかり忘れてしまい「じゃ、さっきの所をもう1度弾いて」と言われた時には頭は真っ白。「せ、センセ、もう1回弾いて〜」という有様。まさに、今自分の
出来ること出来ないことがあからさまに判り、有意義かつある意味かなりハズカシイ3時間であった。判らないからレッスンしてもらうんだ、と思いつつも、あ
まりにも出来が悪い生徒にここまでお気遣い頂き、申し訳ない気分だった。センセイはレッスンの一部始終をMDに録音してくれていたようで、帰りにはその
MD、教材譜面(私用に用意して頂いていた教材)、5月にあったセンセイのライブCD、お土産まで頂いてしまって、まさにいたれりつくせりのレッスンだっ
た。帰ったらまずは「手ベースしながらアドリブできるようにする練習」から始めてみようと思いつつ、センセイに見送られ宿泊先へ向かったのだった。
パイプオルガンの発表会
March 21,2002
- 友人3Jが出演するパイプオルガンの発表会に行って来た。実際にパイプオルガンを間近で見たり聞いたりするのは初めて。もちろん演奏曲は
クラシック、しかもバッハ。やっぱり3曲目で眠くなったりするんだろうかと思いつつ、やっぱりクラシックには花かと思い、朝から花束を作って会場へ。いつ
もの仲間達が既に到着していた。場所がリハーサル室ということで、皆で「出演者用入り口」からどやどやと入室。パイプオルガンにも色々種類があるようだ
が、今日見たのは2段鍵盤で足は2オクターブ、EXP.ペダルが無く(もちろん2nd.ペダルなんてのも無い)、代わりに左側にピアノのダンパーペダルを
小さくしたようなペダルが3つ。鍵盤の横に音色を変える?ピストンみたいなスイッチが7−8本。面白かったのは、これらのペダルやスイッチは演奏中は演奏
者が自分で操作することが無く、横に譜めくりと兼務でスイッチ切り替え操作を行うヒトが居る事だ。しかも、鍵盤横のスイッチを押したり引いたりするだけな
らまだしも、足鍵盤上の3つの小型ダンパーまでも助っ人が足で代えるのだ。しかも、演奏者がベースソロ(あるのだ!)の最中に助っ人の足がダンパースイッ
チに伸びていたりするのを端から見ると、じゃまくさそーに見えたのは私だけか・・・。また、スイッチを切り替えると、下鍵盤を弾いているのと同じように弾
いていない上鍵盤が動く時があって、はたから見ると自動演奏を積んでいるかのようだが、実はこれでオルガンの倍音の音色が出せるようになっているのだっ
た。足は左足と右足の使う頻度がほぼ同じ(交互に使っている)なので、腹筋をかなり使いそうだ。そういえば出演者は皆同じ靴を履いているようだが、あれは
やっぱり買わされたんだろうか。友人3Jはバッハの曲とパッヘルベルの曲の2曲演奏。ベースソロあり音色総ひっかえあり、なかなか見せ場のある曲と演奏
だった。花束を渡すタイミングがちょっと遅くて、お笑いにしてしまったが・・・。終わってから、Exp.ペダルも無くて強弱が付けられない分「惹きつける
演奏」というのはかなりムズカシイよね、と一緒に見ていた仲間と話しつつ、会場を後にしたのだった。
たまには真面目に語ってみましょう
March 7,2002
- なぜかこんな週半ばに、いつもの演研メンバーが集まって、いつものファミレスで音楽話に花が咲いた。私がお店に着いた時にはテーブルには
ビールと餃子と鶏からあげ。ファミレスで居酒屋な注文が出来ることを教えてくれたのもこのメンバーである。この日は結局朝の3時まで居座っていたのだっ
た…。さて真面目は話は、最後に到着した友人3Jが「3Qに受かるにはどうしたらいい?」と言ったのがきっかけだった。みんなで「3Jの演奏は上手いけど
何かが足りない」「歌って弾けば?」「歌って弾いてるんだけどなー」とか皆好き勝手な事を言っているうちに「このヒトみたいに弾きたい!って思ったこと無
いの?コピーする時どこまでコピーする?」みたいな話になってきた。ここで、皆個性的なメンバーなのにほとんどが「尊敬するプレーヤーは居るし、せっかく
コピーするんだから、フレーズの歌い方とかアドリブのメロディまで取るよ」派だったのに驚いた。実は私は3Jと同じく「このヒトみたいに弾きたいって思う
人は居ない、曲はこんな感じ〜って弾くかな」派だったのだ。3Jは判らないが、私はコピー自体があまり好きではなく、せっかく苦労して自分で弾いているの
に中身がヒトの物、という感覚がどうしてもなじめなくて、自分の解釈を入れてしまう。あちこちの曲のコード進行とか曲の構成とか、音色の組み合わせ方とか
は参考にすることはあっても、演奏で真似ようと思ったことは無かった。最近になって、クラシックはまるまるコピーするよう務めてはいるのだが。しかしこの
JAZZな面々で(もちろんJAZZの曲で)丸コピ派が多数というのは驚いた。おまけに「コード進行を参考にすることはあるけど」と言ったら「それは作曲
者か演奏者かの違いだね」と指摘があって、ああやっぱり自分は演奏者じゃないな、というのを改めて自覚した。しかしこれは「個性を出す」というのと相反す
ると思うのだが、その辺はどう折り合いを付ければ良いのだろう?私も2Q受験のビデオを見たという方から「ああ上手いね、って感じ」という感想をもらった
(そのヒトも受験者だった)事があったので、3Jの気持ちが判るのだが、コピー派の面々は確かに個性的な演奏をする。結局練習しろって事だよね、と言う
3Jの言葉に、自分も密かに同意していたのだった。
マズルカの由来
February 5,2002
- ピアノのレッスンはショパンの「雨だれ」が終わって、いよいよ私が希望していたドビュッシーの曲に入ることになった。ただ選曲に数週間費
やすことから”つなぎ”として、ショパンのマズルカが宿題に出されていた。ところで、私はマズルカを弾くのはこれが初めて。そもそも”マズルカ”って何な
んだ?と思い先生に聞くと「踊りなのよ、アクセントに多少癖があるのよね」とのこと。でもそれだけじゃいまいち判らない、トロイカの親戚?程度にしか理解
できなかったと思われたのか、今日は先生も知識を仕入れ、CDも用意してくれて、前回以上に詳しい説明をしてくれた。どうやら、マズルカとは”ねるとんダ
ンス”らしい。最初は男女お互いを品定め?しつつちょっとおとなし目に対応しているが、パートナーが決まったらこれ見よがしにどうだと言わんばかりに踊り
狂うのだとか。しかも女性が男性を選んだら、男性は断ることが出来ず、いかにも男性がその女性を選んだかのように「どーだ俺の女イイだろ」的に踊るんだそ
うな。なんちゅう俗物的な曲かと思いつつCDも聞かせて頂いたが、やっぱり私には「トロイカの親戚」と言われた方がしっくりくるのであった・・・
2002年の弾き初め
January 3,2002
- あけましておめでとうございます。ここでこの言葉を書くのはもう何回目か?昨年を振り返ると、今までになくイベントが多い1年だった。1
月にホールを借り切ってのELアンサンブルオフ会に始まり、2月の飲兵衛御用達メートパーティー、5月に友人の披露宴での演奏、6月にはエレクトーンフェ
スティバル、8月に東京立川でのオフ会、10月にはエレクトーンコンクール、ピアノの発表会が連日2回。演奏研究会に所属していなかったので、終了コン
サートが無いのに、この演奏頻度は結構なものであった。初めての事もあり色々と体験させてもらったが、どれもこれも結局本番やっつけ作業になっていたのが
反省点だ。逆にピアノのレッスンを10数年ぶりに再開してみて、初心者の気分で練習に発表会に挑めたのも収穫だった。今年から週1回のレッスンが無くなる
代わりに、演奏研究会復帰とピアノのレッスンが月2回。少しだけ基本に返って、少しは仕込みが出来た状態で人様に聞かせられるような生活を送りた
い・・・。
そんなわけで、今日は弾き初め。弾き初めと言えば子供の頃は、毎年ピアノの発表会が1月4日頃にあって、文字通り「弾き初め」だったのだが、現在は発表会
で弾ける曲を持っていないどころか、実は1ヶ月くらい鍵盤を触っていない。というわけで今年初めての”練習”とあいなった。いつもと違うのは、いきなり曲
から弾き始めた所。電子ピアノでショパンの「雨だれ」に始まり、昨年購入したサティ、いつかは弾きたいドビュッシー等から数曲、その後はヒップポップのリ
ズムを鳴らしながらハノンや練習曲を弾いたり。「手が疲れたなあ」と思ったら3時間経っていて、この後エレクトーンを弾く気力が無くなってしまった。どう
やら今年はピアノ寄りな1年になる、という前触れか??
バンドはまとまりが全て
November 17,2001
- 友人すみちゃんの歌ものバンドがライブをやるというお誘いで、久々にライブハウスにお出かけ。バンド仲間とも久々のご対面だ。最近、この
バンド仲間もめいめいがHPを開いたりオフ会に出たりと、ついこの間までは信じられないようなネット進出を果たしつつある。ホントに時代は変わるモンだ。
今回は3バンド合同ライブで、1番目はカシオペアコピー、2番目がすみちゃんの歌もの、3番目は次回から友人nocchiが参加する予定の松岡直也コピー
バンド。久々のライブ観戦?だったので、カシオペアコピーに懐かしさを覚え、すみちゃんバンドではかなりの芸達者揃いなのに笑わせてもらい、。未来の
nocchiバンドは9曲も演奏したので「よくやるなー」と素直に(上手だったし)感心した。で全体を見て聞いて感じたのは、今更ながら「バンドでやる時
は個人の力量だけじゃだめ」ってこと。皆アマチュアとして好きなアーチストの曲を楽しくやっているのだから「好きこそ物の上手なれ」を地で行く程上手いヒ
ト達の集まりなのはもちろんなんだけれども、バンドでライブとなると、その個人個人の巧さじゃなくて「みんなでやったときのまとまり」みたいなものがある
かないかで、バンドの評価が決まるような気がする。同じ「好きなもの」をやっているにしても、皆でどこまで足並み揃えて突き詰めていくか、みたいな。事
実、ライブ後の色々な機会で皆と話しすると「バンドとしてのまとまりが大事」という話もちらほらと。今年はソロ活動が多かった私だが、場面によって演奏も
変えられるようになれなくちゃな、と思ったのでした。