最近の練習ぶり



今まで何やってきたんだろ

August 7,1999

9月に行われる演奏研究会の終了コンサートのため、ここ1ヶ月ほど、アレンジにいそしんでいる。今回取り上げたのはテーマ部だけコード付き1段譜が用意されている曲で、構成やアドリブは全て自分で作ろう、という試みである。当初は、先月の演研までには一応全部つくろうと思っていたのだが、思った以上に構成を決めるのに時間がかかり、アドリブが最後まで作れないまま「こんなかんじです」と本当に即興でだだだっと弾いてしまった。とりあえず構成は決まったものの、「CDコピーではないからアドリブは見ておきたい、返信用封筒を同封の上、郵送するように!」と、通信教育(!?)を受ける事になってしまった。とりあえず旅行に行く前に送らなくては!と、演研前日に加えてさらに2日間、丁度仕事が夏休み中なので、ほとんど家で一日中カンヅメ状態でアドリブを書いた。しかし、たかだかA4用紙で5枚ほどのアドリブなのに、しかも1ヶ月前から考えてはいたのに、全然JAZZらしいフレーズが浮かばない。一応、他曲のCD等を聴いてみたりしたものの、「こうなったら良いんだよな」と理屈はわかっているはずなのに、全然カッコ良くならない。確かに今期はろくに練習もしていなかったし、JAZZの曲のコピーもほとんどやっていないが、しかし私だって初めての演研ではないのだ。一応年数だけは、キャリア組のはずなのだが、全然JAZZらしくならないのである。しかも、いっぱしの社会人がせっかくの夏休みに、学生時代と変らないカンヅメの日々を過ごしていて、しかし集中力は修行時代より格段に落ちているのが自分でも判って、すごくショックだった。他の演研メンバーは、皆あんなにJAZZらしく弾けているのに、私は今まで何をやって来たんだろう。なんにもモノになっていなかったんじゃないか?と、弾きながら2時間おきに「もうエレクトーン弾くの止めよう!」と思っていた。でもとりあえず郵送しなくてはいけないから、本当にぎりぎりまでかかって、アドリブ譜5枚、添削用譜面5枚、参考演奏を録音したFD、切手貼済み返信用封筒を同梱して、旅行出発日の1時間前に速達で出した。結局自分の思うJAZZらしいフレーズがほとんど書けないまま枚数だけ埋めて出したのだが、これで添削結果にそのまま沿って本番で弾くのも嫌だ、とやっぱり落ち込んだのだった。

そして今日、プロのミュージシャン達によるクリニックなるものがあったので見学に行った。一応、友人との付き合いで「熱帯JAZZ楽団」の見学で申し込んだのだが、実は「大西順子トリオ」が見たかったので、前半は熱帯JAZZ楽団を見た後、同じ思いを持っていた友人と一緒に、大西順子トリオの会場に潜り込んだ。通常のクリニックが一通り終わった後、クリニックを受講したメンバー+飛び入りさん達で急遽セッションを行ったのだが、皆ちゃんとJAZZらしいアドリブを弾いていて感心した。もちろん皆、アマチュアなのだ。しかも本当に即興なのだ。普段、JAZZがらみの友人は演研メンバーだけなので、エレクトーン以外の楽器で生演奏でJAZZセッションを見られたのが新鮮だったし、世の中、JAZZのアドリブの上手なヒトって、こんなにたくさんいるんだな、と認識もして、あらためて自分の腕の未熟さを思い知ったのだった。


贅沢者なのか、怠け者なのか

August 4,1999

夏休みでセンターが閉まる前に、と久々にお店に行って曲集「ハービー・ハンコック作品集(ELETONE A La Mode)」と「パーソナルアルバム:倉沢大樹」を購入した。いつもJAZZは特定のアレンジャーの譜面しか弾いていないので、他のアレンジャーはどうやっているんだろう、と気になったのと、単にEL-900で遊びたかった、というのもある。おまけに先日インターネット上での懸賞に当たって、もう1冊曲集が増えることになった。EL-900が家に来て丁度1年になるが、去年から買い揃えた市販の曲集は15冊位になっていた。これは何とELが家に来る前・・・24年前から使用して来た曲集等、手持ちの譜面の1/5に当たるのだ。元々、たくさん本を買うほうではなかったし、田舎に住んでいた頃もあって、購入した本は全ての掲載曲を練習していたし、3Q取得後は自分で譜面を書いていたから、というのもあるが、単にこの1年で買いすぎた、という説もある。いずれにせよ、あらかじめ譜面も音色も用意されているというのは、つくづく恵まれていると思う。これからは遊んでばかりじゃなくて、この恵まれた教材をもっと生かした練習をしなければ。


昨年の悪夢再来?

July 19,1999

また今年も演奏研究会の終了コンサートの季節がやって来た。コンサートは9月だが、曲決めだのアレンジだのドラム譜作成だので、5月から既に用意を始めているメンバーも珍しくない中、私は今年も今だ「曲さえ決めていない」状態だった。思えば昨年は開演40分前にオリジナルが出来た、というスリル&サスペンス劇場だったせいで、うちのセンセイからは「早く早く早く」と毎週のように言われ続けていたにもかかわらず、やはりこの時期になっても出来ていない。しかし!とりあえず曲は決まった(というより、前々から興味を持っていた曲を無理やり”これで決定”させられてしまった)。2ヶ月前に曲名が決まっているだなんて私にとっては奇跡に近い。アンサンブル用にともらったコード付き1段譜をアレンジすることにしたのだが、これがなかなかできなくて、やっと構成だけは決まったものの、アドリブはこれから固める、といった状態だ。今年はまだ本気出して演奏もアレンジもしていないから、これを期にがんばってみようかな、と一応考えてはいるものの、アドリブは「なまもの」みたいなもので、新鮮なうちに自分のモノにするのは難しい!これで今月の演研のレッスンまであと1週間、ホントに小節数決まるだろうか・・・。


真似して良かったのですね?

May 24,1999

このコラムには日付が付いてしまっているので、ちょっと見ると「3月から今日までずっとサボって居たの?」と思われるかもしれないが、あまりやる気は無いものの、とりあえずELには触っている。クラシックを弾く”マンスリーレッスン”も月2−3回ペースながらも続いている。「ゴリウォークのケークウォーク」の後は「亜麻色の髪の乙女」「ボレロ」と続き、今日は2度目の「亡き王女のためのパヴァーヌ」である。実は「ボレロ」では重音奏の練習に飽き飽きしていたせいもあって、「パヴァーヌ」ではとりあえず音だけは拾っておいた(もちろん完璧に弾けることはない)。ので、少しは見込みがあると思われたのか「この曲は原曲を聴いてちゃんと練習してみたら?」と言われていたのだ。そういや、元来のクラシック音痴・・・嫌いではないがなぜか昔から”わかってない”と言われつづけていて、直そうにも原因がわからない・・・に加えて、とりあえず鳴らしておこうかな、という「地道な練習嫌い」そのもので進めていたので、今まで原曲を聞いて練習したものは1つも無い。そこで前日、家のCDラックを探してオムニバスで「パヴァーヌ」が入っているCDを発見、これをまた1から聴いて演奏法を研究・・・なんて地道な練習はやっぱり嫌だったので、とりあえずCDに合わせて5回ほど弾き、感じを覚えてさらにELだけで5回弾いただけ、という手抜き練習状態でレッスンに持っていった所「80点、十分合格!この曲はちゃんと”パヴァーヌ”に聞こえたわ」と褒めちぎられてしまった。おまけに譜面用とは別に、携帯用に立体モモちゃんのシールまでもらってしまった(いつも曲が仕上がるとシールを貼ってもらう、という幼児科レベルのご褒美をもらっています^^;)。何だか拍子抜けして「クラシックって、真似で良いんですねえ・・」と言った所「そうよ!クラシックはこういうもんだ、と思って弾かなくちゃだめよ、昔から代代”作曲家はこう演奏したかったんだろう”というのを受けついてきているんだから、そこから外すと受け入られないのよ」といわれてしまった。何だ、今まで散々「クラシックを判っていない」と言われつづけていたのは、これだけのこと?クラシック曲は沢山のヒトたちが既に弾いているのだから、どこか弾き方が違うヒトが高く評価されるものだと思っていたら・・・これで1つクラシック音痴の殻が破れたかも(今更気づく自分も何だが)しれない。おまけに「あなたは大曲よりこういう佳曲をちゃんと弾く、っていうのが合っているかもしれないわね」「大曲って何?スコアのぶ厚いやつ?」「いやそうじゃなくて、派手な”ジャジャーン!”っていう曲じゃなくて、こういうBGM。コンクールとかじゃ弾かないやつ。BGMは目立っちゃダメだけど、間違うと目立つのよ」お勧め曲タイプまで決定してしまった。確かに、あまり黒い譜面は譜読みの手間がかかるから向いていないかも。しかし「あえて言えばベースを譜面通り拾って、1箇所弾きなおし無く弾けていたら88点だったんだけどね」とおまけが付いたので、やはり「譜面に弱い」私の性格ではクラシックにはいつまでも不向きなようだ。。。


昔から譜読みは苦手なんだもの

April 25,1999

今月末も演奏研究会でJAZZのお勉強である。最近は耳コピする程やる気が無くて、3回連続"Ruby My Dear(in "Blue Moon/YAMAHA)"である。SAXとOrganだけの音色で最後まで弾いてしまうバラードである。レッスンの場では譜読み間違いと「SAXはもっとずうずうしく弾いても良い」位で終わったのだが、この後センセイといつものメンバーですすきのになだれ込んだ場で「おまえは演奏力はあるけど、譜読みがなあ」と言われてしまった。実は私は昔から、譜面通り全て音を拾えたことがまずない。4小節に1回間違った音で覚えて弾いてしまっているのがいつものパターン、でもまあ雰囲気出しておけばイッカ、という「地道な練習嫌い」「自分勝手な演奏解釈」でずっと来ているのだが、ポピュラーはこれで何とかなってしまうのが良くもあり困った所でもある。「今日はもう黙っていられなかったから」と全てセンセイ直々に譜面にチェック入ってしまった。これでも結構見てきたんだけど・・・回りから「まだまだ甘い!!」「譜読みダメなんだよねー」「全部書かれてたもんねー」等ヤジの飛びまくり。この日は結局、朝の5時まですすきのに居た。この日は朝から仕事だったから、7時まで寝て、8時半には朝礼に出て、おまけに退社後はマンスリーレッスンでまたセンターに行った。・・・これで譜読み間違いが直るなら、何度でもすすきのに行くのだが。


コンサートレポートダイジェスト

April ?,1999

いきなり気が向いたのと「行けるときにまとめて行ってしまえ!」的な突っ走りで、10日で4つのコンサートを見に行ってきた。もう日が経っていることもあって、ここではダイジェストを。

4月18日:三原善隆セッション(六本木PIT INN)
…良くも悪くも昔と変わっていないなあ、と率直に思ってしまいました。まだ曲名のついていない新曲も何曲か披露してくれたのですが、私的には「…?」最後のつづらの氏のSAXソロが一番気に入りました。福岡からいらしたお客さんがいて、私みたいなヒトいるのねーとびっくり!

4月20日:ハービー・ハンコック(札幌コンサートホール)
…クインテット形式の、ひたすらソロを弾き回す古典的なJAZZ。「ウオーター・メロン・マン」等結構有名な曲をやったのですが、不勉強な私が曲と題名が一致したのは「処女航海」だけ。。ドラマーさんが特に上手でした。といっても、どこが良いの?と聞かれると答えられない程度の私ですが、「同じこと弾いてご覧」といわれると確かに弾けないし、すぐこれだけのアドリブは出てこないな…と、若干公開講座モードで聴いていました。

4月22日:エレクトーンGALAコンサート(北海道厚生年金会館)
…これ、「ぎゃら」と読むのですね。「がーら」だとずっと思っていました。ともかく、バードくんのHP懸賞にあたったおかげで前から6列目のど真ん中という好位置!ただ、同時期に北海道新聞で募集していた「40歳以上の方御招待」に紛れたのか、回りがアダルトな方ばかり。前座はJECで金賞を獲得した2人だったが、最初からELの調子が悪く、トップの子はそれでも度胸があって最後まで弾き通したが、2人目でELが完全に操作を受け付けなくなってしまって、いったん幕が閉まるというハプニング。ELを完全に取り替えて、その後は3人のプレーヤーさんには影響が無くて済んだ。それにしても前座の2人の舞台度胸はすごい、さすが慣れてる!渡辺氏のクラシックは初めて聴いたが、一番今までのエレクトーンらしい演奏だった。ペダルがソフトに弾いていて驚いた。私も昔弾いた事のある「展覧会の絵」も弾いてくれたのだが、もう自分では弾きたく無くなってしまいました…。中村さんはなぜか演歌の女王”さかもとふゆみ”さんに似ていたと思ったのは私だけ?ステージセットがムッキー(渡辺氏)の時より高級そうだったのはなぜ?でも、中村さんはもう、ライブ向きの方では無くなったようです。テープと一緒に弾いてCDの音源を再現されても、手元が見えないからライブ感が感じられない。デビュー当時は結構気に入っていて、F・Cにも入っていたと言うのに・・・さようなら、中村さん。窪田氏は2台のELの間にドラム用の椅子に座って引き倒し。これは、もう会場がここ(厚生年金会館)では窪田氏が可哀想だ!スタンディングができない会場なんて!ぜひ次回はZEPP Sapporoあたりのライブハウスで”なるちょ”あたりを引き連れて演奏して頂きたい!!それにしても窪田氏は何の音色弾かせても上手だ。オルガンといい、ペットといい・・・うらやましすぎる。おまけに笑顔がかわいい(と言っては失礼なのは重々承知の上!)!!また北海道に来てくださいねえ、窪田さん、地元なんですから。

4月29日:市民バンドフェスティバル(札幌コンサートホール)
…吹奏楽団に所属する友人に毎年付き合わされるコンサート。バンドによって同じ曲でも解釈が違うのがよく判る。おまけに楽器のポジションもまちまちなのに気がついた。前回ここで聞いて気に入った「オリエント急行」を2Qのレパートリーにしたこともあり、私にとってはこのコンサートは曲発掘の場所でもある。今年見つけた局は「コーラル・ブルー」沖縄民謡風のフレーズが盛り込まれたもの。早速友人に音源とスコアをリクエストした。


本当に必要な事って・・・

March 1,1999

発表会の次の週には演奏研究会があって、毎度のことながらろくな出し物が無い私は、その「カラオケ付きJAZZ」を聴いてもらった。演研のセンセイは手弾き重視の方なので、どーせ「そんなもの(カラオケ)に頼っていても、演奏がお粗末なら意味が無い」とか言うんだろうな、と思いながら。しかし、それを覚悟でこのカラオケを聴いてもらったのには一応理由がある。カラオケといえども「センス」が必要なことを今回身をもって痛感したからだ。カラオケ作成の際、自分のソロ演奏に合わせながらブラスの合いの手をアドリブでどんどん録音していったのだが、「ブラスアンサンブルとしてのハーモナイズ」を一応考慮に入れながら弾いたにもかかわらず、やはりソロ演奏を邪魔している部分が出来てしまい(これが、アレンジの勉強がまだまだ足りないということなんだろう)、しかも直そうとするも途中でPCが何度もフリーズ!明け方まで復旧作業に費やしてしまったこともあり、まだまだ「自分の意に添った」合いの手になっていないのがちょっと引っかかっていたのだ。しかしカラオケを聴いたセンセイの反応は思っていたよりも冷たくは無かった(お風邪を召していたせいかもしれないが)。やはり閉口1番「アレンジをもっともっと勉強しないとな」と言われた。「たまにブラスらしい音がする所もあるけど、伸びている音がな」これは、内臓音源がしょぼい(と個人的には思っている)からある程度はしょうがないのだが。

次の日、普通のレッスン日だったが当然のごとく出し物がないので、昨日の演研で一緒だった講師Sを巻き込み、無理やりセンセイをお茶に誘ってトークタイムに。うちのセンセイは私に会うなり「やっぱり、音が良いRolandのXG(GSのことです…)も買う事にしたわ!」と語り、講師Sは「XGカラオケ作りたいんだけど、とりあえずピアノプレーヤーで再生できるっていうデータ(幸いにも、MIDIにも対応しているようでした…)を買ってきたの」と言う。今度PCを購入したいという講師Sをからかいながら、PCって賢いのよ!でもよく固まるのよ!と、うちのセンセイがとうとうと解説している。…しかしPCの話をセンターで、講師さん方と話する日がやって来るとは思わなかった。「絵に描いたようなPCビギナー」の講師S,「PC歴1ヶ月弱なのに驚異的な根気と探求心で迫る」うちのセンセイ、「学生時代からさかのぼれば実に10年以上、毎日PCの前に座っている」私が”XGカラオケをどうやって作って使うか?”という1つのテーマについて討論してしまうのだ。これってすごい。

しかし、今回行き当たりばったりでXGカラオケを作ってみて思ったのは「カラオケを使おうが否だろうが、本来の力量はちゃんと見ぬかれる」ということだ。演奏力だけではなくアレンジ力やセンスにしても。それからもう1つ、「XGカラオケを僕にするには演奏側にかなりの統率力(?)が必要」ということだ。カラオケ作りで最初に判ったのは”頭カウントが必須”ということ、でもこれが私にとっては結構うざったくて、いつも”シンクロスタート”で好きなタイミングで始めるのに慣れていると、MIDI側に合わせてこちらが演奏しなくてはならない事態が、どうにも納得できない。なぜサポート側にこっちが合わせないといけないの?姿の見えない所で鳴る音に合わせるのはどうにもやりづらい!今回の曲"SUGAR"は一旦ソロで仕上げた曲なので余計、カラオケ側に合わせないといけないと思っていたからかもしれないが。カラオケには罪は無いが、これからしばらくはまたEL-900購入時の目標「普通の音を綺麗に鳴らす」方向に向かいそうな気が、自分ではしている。そのせいか「皆が皆、無理してPC買ってシーケンサーでカラオケ作ったりする必要も無いのに」と感じてしまうのだった。それにしても、PCは音楽製作に関して言えば、まだまだ完全に信頼できる「一瞬のひらめきをサポートしてくれる」道具にはあたらないということも実感した。。。


発表会のオードブルは骨付きチキン

February 21,1999

先日の発表会では無事に"SUGAR"を弾き終えてきた。友人2名を引き連れ本番10分前に会場入り。以外に普通の発表会らしいお客さんの面々。しかし席が参加人数ぴったり分しか用意されていないため、私たち3人で並んで座る場所が無く、前半は泣く泣く友人たちと席を離れる(T_T)参加料がリッチ(\8000!!)なため、一応1ドリンクと料理が用意されていた。演奏曲26曲、出番が後ろから2番目だったので長丁場、とりあえず目の前にあった料理をろくに見もせず(ド近眼なので)お皿に取り分けたら、なんと骨付きのチキンだった。なぜ弾く前に、手の汚れる物を出す!?しかもお手ふきももないし・・・でも取ってしまったので食べた。ふと見ると隣の席の出演者がえらく緊張していて食事も喉を通らない様子で、なんだか可愛そうだったが、本番では綺麗なメロの曲を暖かい演奏で聴かせてくれた。気合の入れようが違うなあ、と骨付きチキンごときでむくれている私が隣にいるのは、ちょっと申し訳無い気分だ。
さて本番の様子といえば、曲目がポピュラー、jazz、演歌、タンゴ(だんご3兄弟ではない)、クラシック、アンサンブルetc.とバラエティー豊か。出演者のほとんどがEL-900を使っていたこともあって、XGカラオケや華やかな音色に溢れていた中で、地味な音色で手弾きするJAZZを弾く人も以外と多く、演奏も回りの華やかさに埋もれていないのが印象的だった。自分は本来シブいはずのJAZZにカラオケを組んでがちゃがちゃと弾いたが、徹夜でボリューム調整したにもかかわらず、モニタからカラオケががんがん響いてきて「うーるさい、うーるさいっ」と思いながら演奏していたのだが、聴いている側はどうだったのだろう?弾き終えた後のインタビューが一番緊張した・・。最後のアンサンブルではソプラノSAXも登場して、昨年SAXのみのビッグバンドでJAZZを聴いて以来お気に入りの私としては、ソプラノSAXが聴けてちょっと得した感じだった。終了後のうちのセンセイからの一言「よかったよ。今度は”もっとかっこいいカラオケ”を一緒にゆっくりつくりましょうねえ」。。。はい、ごもっともです。。。


いきなり発表会!?で、付録出演。

February 15,1999

1ヶ月前、突然センセイからねこなで声で「ねえ〜、発表会出ない?」と言われた。いつも今時期には「メイトパーティー」という、ドリンク付きのあだるちぃなオトナの発表会が開催されているのだが発表会と言いつつも、出演メンバーは演奏研究会で一緒の現役講師さん方ばっかりだったりする、発表会にしてはちょっとサギがかった高レベルなのだ。昨年は私にはお声がかからなかったため、もう縁の無いものなのね、なんて思っていたので青天の霹靂状態である。またなんで突然?と聞くと「だって去年”私も出たかったのに、声かけてくれなかったー!”って騒いでいたじゃないの」…確かに騒いだ…。しかし今時期、弾ける曲など無い、と言うと「Nica's Dream弾けば良いじゃないの」それは2年前ひきました。「だれも覚えていないって、譜面にもなっていないし」しかし一緒に出るメンバーは皆知ってます…。やっぱりCDコピーとかしなくちゃダメ?「そんなことしなくていいわよめんどーだから」ってでも出演料¥8000−、お客さん¥2500−は高すぎ。元手取らないと(JASMAC PLAZA Hotelという、IncognitoやJIMSAKU等、本物のアーチストがライブをやる、かなりあだるちぃ〜な会場なので、やむを得まい…)。「市販の譜面からてきとーに弾きなさいよ、他の人たちはあれとかこれとか…」って、よさそうなのは既に全部使われているのであった。で、あれこれ検討した結果やっぱりシブイ(はず)JAZZナンバーの"SUGAR"になった。しかし決めたのが遅かったので、出演名簿を覗いてみたら、みんな曲名入りで手続きの済んだ印の”済”マークが付いているのに「かっこづけ」で私の名前、「曲名=”?”」当然”済”マーク無し。…まるで付録状態。
で、本来オルガントーンでソロ弾きの予定だった"SUGAR"なのだが、丁度XGカラオケ(サポート)作成調査を進めていたこともあって、急遽”ブラスの合いの手”をXGで鳴らしてみようか?と思い立ち、温泉から帰ってきたその日にいきなりのめりこんで明け方4時過ぎまでかかって、とりあえず作った。本当にとりあえずだ。しかし発表会はもうあと1週間後なので採用されるとは思わず、これを今日は”しゃれで”聞いてもらおうと思ったら「まさかSUGAR弾かないわよね、もうできてるんでしょうから良いわよ」と聞く気も無い。。でも「XG]の2文字をちらつかせてきいてもらった。で、ボリュームの調整の手直しを言い渡されて、思いがけず「これで発表会弾いても良い」とのお許しがでた。で、「じゃあ当日ね、本番10分前に来てね。(センターには)金曜日私居るから。リハやるから。あなた来なくていいから」…なんでえ!?


きっかけがあれば、ヒトは変わる・・・

February ??,1999

うちのセンセイが年末に、私の修行時代の恩師の所へXGサポート作成の相談に行った(かなりうらやましかった)。この恩師は当時私がFX-20,HX-1,EL-90でレッスンを受けていながら家はずーっとD-700だったのをご存知で、私がとうとうEL-900を購入したと聞いて「やっと買ったか!今回買わなかったら、怒ろうと思っていた!」とおっしゃっていたとか。。怒られる前に買っておいて良かった・・・
さて、うちのセンセイはそれからVAIOを購入して(恩師に勧められたらしい。私は昔Macを勧められたのだが、最近は両方持っていないと不便なんだそうだ)、XG Worksを入れて、しっかりご自分でPCの使い方もマスターしてしまった様。私もXG Works購入したんですよ、と話を振ったら「これからはやっぱり、こういうこともできないといけないから、あなたもXGサポート作ってよ、で、一緒にゆっくり勉強しましょうねえー」と勧められてしまった。ついこの間まで「こういうのは他のヒトにまかせておけばいいから、あなたは弾く練習しなさいよ!」なんて言っていたのに。この辺つっこむと「言うことはころころ変わるものよ」とあっさりかわされてしまった。でもまあ、こちらは既に調査を進めていたので、じゃあおおっぴらにやらせて頂きましょうかね!って感じなのだが。。。


お正月は”カラオケ”にはまる

January 11,1999

今年最初のレッスンの日、ちゃんとセンターに行ったにもかかわらずウチのセンセイは現れなかった。去年最後のレッスンをすっぽかした仕返しか、はたまた鳴らしていた曲のせいか・・・。
というのも、見てもらおうと思ったのはいつもの「ドビュッシー」だけじゃなかったからだ。実は今年のお年始は仕事の関係で家を出られず電話回線も使えないと思っていたので、それならエレクトーンで色々遊ぼう、宿題もばっちり片づけてXGサポート作成や全くの趣味嗜好でのコピー曲も作って・・・と、計画だけはばっちりだったにもかかわらず、しかも3が日毎日ELの前には座っていたというのに、これらの計画は何一つ消化しないで終わってしまった。何と今頃市販の譜面に、しかも「ラスト・エンペラー(Hello! EL-900 Vol.2)」にはまっていたのである。何せ音が良く響く様に作られていて、弾いていて気分良いことこの上ない。手軽にヒタるにはピッタリだったのだ。また、この曲集の売りの1つに「XGサポート」なるMIDIデータと一緒に演奏できる、というのがあるのだが、これもまたカラオケ気分で気分壮快なんである。このXGサポート、自分でも作ってみたいと思うも、ウチのセンセイからは「あんたはそんなカラオケ(XG)作ってないで練習しなさいよ、そういうのは他の人に任せておけばいいから」と言い渡されているのだ。これはXGが悪いという意味ではなく、私が音色作りやアレンジに大部分の時間を費やして結局弾く練習をする時間の無いまま本番を迎えるクセを知っての禁止令なのだ。しかも別のセンセイからの「曲集は弾けてもう当たり前なんだから、もっと苦労して弾いてこい!」という批評を聞いているのだろうか、センセイの居る隣の部屋でがんがん騒音を出していたにも関わらず、ご対面はならなかった。まあいいけどさあ、とその日は21時まで弾いていた。(ここ何ヶ月か、センター周りで物騒な出来事が相次いだらしく、今までなら21時30分位までは粘っていられたのが、21時で強制退場させられている。ウチにELがあって、本当に良かったと思う瞬間である。もしまだD−700だったら、確実に私は不機嫌になって、センセイが八つ当たりされていたかもしれない・・・)

※「開かずの間」お客様からのリクエストで、このページから日付を入れてみました。でも作者的には、このコラムは決して「エレクトーン日記」ではなく、「2Qグレード合格までの、血と汗と涙のノンフィクションドキュメンタリー(自称)」ですので、ご理解のほどを。


昨年を振り返って、今年の抱負、2年目。

January 1,1999

このコラムも何と2年目を迎えてしまった。当初は「むらさんの日記がおもしろい!」と言われても「でもこれ、日記のつもりじゃないんだけどなあ。。。」などと思っていたのだが、98年はまさに普通の日記と化していた1年だった。昨年はそれなりに緊迫して受験準備に追われていたのに比べたら、まさに「遊びほうけた1年」としか言いようが無く、反省することしきり。。。おまけにHPとは恐ろしいもので、本当の日記と同じく記録が残っているわけで、良いのか悪いのかは微妙ながら、「昨年を振り返って、今年の抱負」をしっかりと自覚(+HPだから他覚も入る・・・)するハメになった。
で、98年の目標達成度はというと以下のような感じで、50%行くかな・・・?というところ。
 (1)コンクールに出せる(=2Q用にできる)レベルのオリジナル曲を1曲は作る
--> 2Qに出すにはまだまだアレンジが煮詰まっていませんが、一応オリジナルは作りました。
 (2)「苦労してないみたい(by審査員)」とは言わせない!演奏力を身につけたい
--> これはまだまだ無理そうで・・・本当にステージ上で苦労した曲はありましたが^^;
 (3)オルガンジャズを”多少”は弾けるようになりたい
--> だいぶ「手ベース」奏法には慣れてきましたが、まだまだ修行が足りませぬ・・・
 (4)HPにオリジナル曲をUPする!!
--> とりあえず、UPはしました。もう少し練習したら、(1)で作った曲も載せます。
98年はこれにプラスして、EL−900に振り回されたことと、ネットを通じて演奏会やったり宴会やったりして、ますますエレクトーン愛好家の方々との楽しいひとときが増えた年であった。(←この2つのせいで”遊んでいる”と演研仲間から言われ続けているが^^;)でも本当に久々にエレクトーンで”遊んで”いる自分を見つけたという感じで、それはそれでエレクトーンに向かう時間が増えて良かったのかもしれない。
そして、今年の目標は実はもう10月頃に決めていた。「極める!」である。そろそろ何かを作りたいと思う。この”極める”がどういう形になるかはまだ決めていないし判らないが、少なくとも我が家に最高級エレクトーンが来てしまったおかげで、もう「楽器がないから」とは言えない(今までも言ったことは無いが、周りにそう見られていると感じることはあった)わけで、それなりの成果を形にはしたいと思う。
#ああまたこんな偉そうなこと書いて、来年の私に怒られそうな気もする・・・


CARNIVAL'98、開幕!

November 14,1998

さて徹夜明けの次の日は、おまちかねのNiftyでのお仲間さんとのコンサートだ。この日はホテルが変わるのだが、でもチェックインするにはあまりにもリハの時間が早かったので、11.5kgになってしまった荷物を引きずりながら、渋谷のエレクトーンシティまでの坂を登る。会場には私を含め全国から集まった物好きなメンバーさん(お初の方、去年お会いした方、何ヶ月か前にお会いした方様々)が迎えてくださった。本当にプログラムも会場セッティングもメンバーでやっているのがすごいと思いながら、リハを見学したりお昼のお弁当を分けてもらったりお初の方とご挨拶したりしながらうろうろする。自分のリハは2分程だったので、とりあえず用意しておいた録音データを流して音響チェック。これは一応2Qで養った方法である。ちなみに今回弾いたのはフュージョンっぽいオリジナル曲で、何年か前に作ったモノだが、今回はなぜこれにしたかというと制限時間が「5分」と決まっていたのと、でもせっかく飛行機代かけて行くんだから曲集ではなくオリジナルアレンジを・・・と思うと、手持ちの曲はどれもこれも6分前後だったのだ。それで悩みに悩んだ末、この曲を普段のテンポより早くして5分30秒にして、これでかんべんしてもらったのだ。今回の会場「エレクトーンシティ渋谷」というホールは、さすが「エレクトーン」という名前が付いているだけあって、とても弾き手が弾きやすい音響になっていた。PAさんに「うるさかったら音量下げても良いですから」とお願いして、ステージ上でもう1度最初から弾く(PAさんには最初の音量チェックのため、大抵出だしを弾くことを要求されるため。これも一応経験のたまもの)ところがここで、既に手が震えだしてまともに右手が回らなかった。まずいなあ、今からこれじゃ・・・と密かに思いつつリハを終了。この後全員アンサンブルの練習があった。パーカッション隊の隊長さんに持参したトウキビ型シェーカーの振り方をレクチャーしてもらったおかげで、これはなかなか楽しめた。終わりがどこだか判らなかったので、思わずFillInの注文を出してしまった。そんなこんなで本番が始まり、今回のプログラムは3部まで分かれていて、私の出番は3部なので、それまでヒトの演奏聴いたり、聴衆モードのメンバーさんとおしゃべりしてたりしていた。本当なら自分の出演するコンサートは聴かない習慣なのだが、この日はどうもそういう居場所が無かったので、密かに緊張しつつ、途中までステージを楽しませてもらった。でも2部の中程でもう駄目だったので、とっとと衣装に着替えて部屋で練習させてもらうことに。ところが15分もらおうとしていた練習時間が他の方とブッキングしたため、1曲通しただけで終わり。何とここでも手が震えて弾けなかった。誰も聴いちゃいないと言うのに・・・もう情けない。で、しょうがないので、もう3部の初めから楽屋に入ってしまった。ここで頭真っ白状態を救ってくれたのが、メンバーさんの息子さん。この子がいろんな事を話しかけて来て「ポケモンのカードを変なオヤジから巻き上げる方法」だの「ノストラダムスの大予言で滅亡するのが怖い」だのという話をずっとしていて、「滅亡するのは北海道だけでいいのに」というくだりで私も思わず「それは駄目!!」と一緒になって討論しだしてから、真っ白だった頭にヒビが入りだし、きわめつけは、ソロトリの方が出番直前で、いきなりチョコレートケーキ(しかも2つ)を食べ始め・・・で、見事にひび割れた頭の中の真っ白なキャンバスは、粉々に砕け散ってしまった。そのおかげか、本番はとりあえず手も足も震えず、レジストけ飛ばしミスも無く、無事終了。しかし演奏が終わった直後はさすがに疲れた・・・。その後へろへろ顔で写真を撮ってもらい、全員アンサンブルでトウキビを振り、コンサート終了後にはありがたいことに「開かずの間」のお客さんetc.が話しかけてきてくれて、「これがオフ会の醍醐味ねー!」と感謝感激。この後はお約束の2次会、3次会、4次会に流れ込み、ホテルにチェックインしたのは夜の3時。何と次の日には8時半に目が覚めてしまったので荷物整理をしたら、いろんなモノが増えていたり減っていたり。。。本当に楽しかったし、虚弱体質もすっかりこれで直ったような気もするが、あんなことやこんなことをしでかしていないか、少々心配であった・・・


自然麻酔で練習

November 13,1998

急な出張で、Niftyのお仲間さんとのコンサート前日まで10日ほど我孫子にいた。最後の日はラッキー(!?)にも徹夜明けで終了し、ホテルはお掃除タイムで入れないし…と、そのまま目黒センターに行って練習することに。1時間半かけてやっと到着、とりあえず2時間EL-900をレンタル(\4200-)した。弾いているうちに、この場に及んでP.Bをかける部分の音色がいまいち気に入らなくなったため、急遽2ndペダルによるP.Bから、EL-900ならではの機能である「鍵盤でP.B+ニーレバー使いで音色分離」をやってみることに。この”ニーレバーで音色分離”というのが私にとっては結構くせもので、要するにニーレバーを引っかけていないと、重音が出ないので、ニーレバーを引っかけつつ手で左右に重心をかけてP.Bをかけて、すかさずニーレバーを離してソロ音(単音)に切り替える、という動作に慣らすのに夢中になってしまった。おかげで他の部分の弾き込みが出来なくなったので、1時間レンタル延長のため受付に。すると前から某プレーヤーさんがやってきた!でもでも、ここで「ファンなんですうー」なんて騒ぐのはいかにも田舎モノなので”気づかない振り”していたら、向こうも何となく”気づかれた??”風な顔をして、丁度フロア内でかかっていた「アンパンマン」の歌を歌いながら去っていった。今練習している曲は結構うるさいので、これ聴かれていたら恥ずかしいなーと思いつつ、1時間延長して騒音を出していた。ホテルに帰ってふと見たら、丁度ニーレバーに当たる膝横にアザが・・・


ちょっと前の練習ぶりへ

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